(2022/03/08追記)
2019年は、女子サッカーが新たな高みに達した年だった。約10億人という、記録的な数のテレビ視聴者が、世界トップクラスの選手たちが集結し、歴史的大会となった女子ワールドカップ(W杯)フランス大会を視聴した。 長らく女子サッカー界を先導し、今大会も最強と謳われたアメリカ代表は、決勝戦でオランダ代表に2-0で勝利し、今大会を優勝した。この優勝に大きく貢献したのは、フォワードのミーガン・ラピノーだ。このヨーロッパでの数ヶ月間で、彼女はスポーツと文化の両面で象徴的な地位を確立した。
ラピノーは、新たな時代を切りひらく次の世代に影響を与える存在となった。もっとも、彼女は女子サッカーの進化に貢献した無数の先駆者たちの一人にすぎない。 以下、GOALSTUDIOは、女子サッカーにおける象徴的な選手たちについてみていく。
■マルタ
クリスティアーノ・ロナウドやリオネル・メッシよりも「世界最高の選手」の称号を多く得た選手は、世界にただ一人いる。マルタ・ビエイラ・ダ・シルバだ。「スカートをはいたペレ」や、「サッカーの女王」とも呼ばれている。マルタは、FIFA最優秀選手賞を6回受賞している唯一の選手であり、C・ロナウドやメッシの受賞回数「5回」を上回っている。女子サッカー史上最高の選手との呼び声が高く、33歳FWはフランス大会でW杯での得点数を「17」に伸ばし、得点数「16」のドイツ人ストライカー、ミロスラフ・クローゼを抜いて、男子と女子のW杯の最多得点者となった。ブラジル人フォワードは、5つのW杯決勝トーナメント戦でゴールを記録した最初の選手でもある。
女子サッカーの世界的な象徴であるマルタは、世界における女子サッカーの水準を引き上げることに貢献してきた。ブラジル北東部の貧しい田舎町であるドイス・リアーショスで生まれ育ったマルタは、わずか16歳にして代表デビュー。それからというもの、代表戦で106ゴールを記録し、2004年と2008年のオリンピックで銀メダルを獲得するなど、そのほかの数々の偉業を成し遂げてきた。多くの人々のアイドルでロールモデルであるマルタは、2018年7月にスポーツにおける女性と女児のためのUN Women親善大使に任命された。
■ビルギッド・プリンツ
力強いスピードと大柄な体格を兼ね備えたドイツ人フォワードのビルギット・プリンツは、冷酷な殺人者のような決定力を持っていた。代表として出場した214試合で128ゴールを記録。2003年と2007年にW杯を制し、FIFA最優秀選手賞を3回(2003年、2004年、2005年)受賞した。2011年に引退したが、女子W杯での通算ゴール数は「14」であり、マルタに次ぐ2位である。 10年半以上も代表選手としてプレーし、キャリアのほとんどをFFCフランクフルトで過ごした。2001年から2008年まではドイツ年間最優秀サッカー選手賞を独占。その間、サッカードイツ女子代表はW杯を連覇した唯一のチームとなり、プリンツはゴールデンボール賞を受賞。次の年もシルバーボール賞を受賞した。現在は、スポーツ心理学者としてドイツに貢献している。
■フォルミガ
過去40年間における女子サッカーの進化の生ける象徴として、伝説的なミッドフィルダーはフランスで7回目のW杯を戦った。これは男子と女子を通じて史上初のことである。
ブラジルの43歳MFは、1991年の第1回をのぞき全ての女子サッカーW杯に出場してきた。そして、オリンピックの女子サッカー種目において彼女がいなかったことは文字通りない。W杯の最年長出場選手になったが、初めて出場したのは1995年までさかのぼり、当時は17歳でブラジル代表の最年少選手だった。
マルタと同様、パリ・サンジェルマンのキャプテンはブラジルでは社会活動を行なっている。男女平等を推進し、女性や女児が夢を追うことを奨励している。
■澤穂希
アジア史上最高の選手と誉れ高い元フォワードは、日本代表として200試合以上を戦ってきており、W杯にも6度出場した。23年間の代表としての素晴らしいキャリアの中で、83ゴールを記録。最初のゴールは1993年のもので、当時はまだ15歳だった。彼女が獲得してきたものの中には、W杯のトロフィー、ゴールデンシューズ賞、オリンピックの銀メダル、2011年のバロンドールがある。バロンドール受賞はアジア人初の快挙だった。
素晴らしい視野とテクニックを兼ね備えた彼女は、日本選手にとってのベンチマークを打ち立てた。
■ミーガン・ラピノー
フランスW杯でトロフィーを勝ち取ったアメリカ代表として、ゴールデンシューズ賞やゴールデンボール賞も受賞したラピノー。歯に衣着せないゴールスコアラーは、ピッチ上でのプレーだけでなく、確固とした人格と積極的な社会活動でも世間を賑わした。「”クソみたい(f-ing)” なホワイトハウスなんかに絶対行かない。そもそも私たちは招待されないでしょう」とドナルド・トランプからのホワイトハウスへの招待を断ったのだ。
アメリカ国内女子サッカーリーグのレインFCのキャプテンであり、アメリカ代表でも主将を務める36歳は、2016年から国歌斉唱を拒否してきた。国歌の起立斉唱を拒んだ元NFLのクウォーターバック、コリン・キャパニックに賛同するためだ。アメリカ合衆国サッカー連盟はひざ立ちでの国歌斉唱を禁止したが、その連盟は2019年W杯の前にすでに男女差別で訴えられていたため、ラピノーはフランスでの大会期間中、国歌を歌わず、右手を胸に当てることもしなかった。ゴールスコアラーで、リーダーで、代表チームやそれ以外の人たちも引っ張っていく存在であるのだ。
■ ワンディ・ルナール
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ポジションはセンターバックだが、身長185cmという上背を武器に、ワンディ・ルナールはフランス代表で30回以上、所属クラブのリヨンでは実に130回以上ゴールネットを揺らしてきた。ゴールを量産するディフェンダーとして多くのタイトルを獲得してきたルナールは、現代の女子サッカー界で最も栄誉ある選手の一人である。フランスリーグでは14回、チャンピオンズリーグは7回という記録的な優勝を果たしており、フランスW杯が行われた2019年、ニューヨーク・タイムズ紙は彼女を、欧州女子サッカー界で最も成功をおさめたクラブであるリヨンの「名物選手」と評した。
■サム・カー
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ティム・ケーヒルが持っていたオーストラリア歴代最多得点記録を塗り替え、サム・カーは世界最高の女性サッカー選手、ストライカーの一人と広くみなされるようになった。スピード、スキル、粘り強さ、バックフリップのゴールセレブレーションでお馴染みのオーストラリア代表は、12歳でサッカーに転向するまではオーストラリアン・フットボール・リーグ(AFL)に親しんでいたという。13歳の頃、パース・グローリーのストライカー、ボビー・デスポトフスキーに見出され、並外れた運動能力と才能を開花させたカーは15歳でリーグデビューと国際デビューを飾った。その後はオーストラリア代表として2010、2014、2018、2022年のAFC女子アジアカップ大会、2011、2015、2019年のFIFA女子ワールドカップ、2016、2020年の夏季オリンピックに出場を果たしている。