Words by Yuto Suzuki
ワールドカップでは、その年の大会の忘れがたい瞬間を象徴するような写真が必ず生まれます。何百枚も候補がある中で、ここでは目を引くものから忘れられないもの、一風変わった奇妙なものまで幅広く紹介します。
マラドーナの「神の手」/ 1986 メキシコ大会 (優勝国 アルゼンチン)
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1986年ワールドカップ準々決勝、アルゼンチンvsイングランドの試合は、歴史に残る一戦となった。後半6分、イングランドのスティーブ・ホッジがボールをクリアし損ねた後、ディエゴ・マラドーナが左手でボールをネットに突き刺したのである。マラドーナは後に、このゴールは 「マラドーナの頭と神の手で決めた」と名言を残している。
マルコ・タルデッリの叫び / 1982 スペイン大会 (優勝国 イタリア)
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マルコ・タルデッリは1982年のワールドカップ決勝でゴールを決めた後の喜びについて、次のようにコメントした。
「得点した後、私の全人生が目の前を通り過ぎた。死ぬ間際に感じるものと同じ感覚だ。ワールドカップ決勝で得点した喜びは計り知れない。子供の頃に夢見ていたことで、私のセレブレーションはその夢を実現した後の解放感の表れだった。私は生まれながらにして、その叫びを内に秘めていたんだ。」
ウェイン・ルーニー退場の瞬間 / 2006 ドイツ大会 (優勝国 イタリア)
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2006年ワールドカップ準々決勝、イングランドとポルトガルの試合で、ウェイン・ルーニーがポルトガルのDFリカルド・カルバーリョの股間を踏みつけ退場となった。ファウルがあった際、猛然と審判に駆け寄り退場を促したのが、当時ルーニーとチームメイトだったクリスティアーノ・ロナウド。ルーニーが不信感露わにピッチを去っていく中、ロナウドがベンチに向かってウインクをしたシーンがカメラに捉えられ、この行動は後に物議を醸すこととなった。結局イングランド代表は最も重要な選手の一人を欠いて試合を終えなければならず、延長戦を0-0の引き分けで終えた後、試合はPK戦に突入し、ポルトガルが3-1で勝利した。
アンドレス・エスコバルのオウンゴール / 1994 アメリカ大会 (優勝国 ブラジル)
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1994年のワールドカップ、1次リーグでルーマニアに3-1で敗れたコロンビアは、敗退が確実視されるアメリカとの対戦に臨んでいた。試合中、アメリカのMFジョン・ハークスがコロンビアのペナルティエリア内にクロスを送る場面、コロンビアのDFアンドレス・エスコバルは反応が遅れ、誤ってボールを自陣のゴールに入れてしまった。結果コロンビアは2-1で敗れ、エスコバルは5日後に殺害されてしまった。
チームを救ったルイス・スアレスの右手 / 2010 南アフリカ大会 (優勝国 スペイン)
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もう一つの「神の手事件」は2010年南アフリカワールドカップ準々決勝、ウルグアイvsガーナの対戦で起きた。試合は延長戦までもつれこみ、ガーナはアフリカ勢史上初のベスト4進出まであと一歩のところまできていた。そして誰もがこのままPK戦へ突入かと思われた最後の数秒、ドミニク・アディヤのヘディングシュートをルイス・スアレスが右手でセーブしたのだ。スアレスは一発退場となり、ガーナにはPKのチャンスが与えられた。その瞬間、多くの人がアフリカ勢初のベスト4を確信したことだろう。だがその数十秒後、歓喜に沸いていたのは空色のユニフォームを身に纏った選手たちだった。試合はPK戦にもつれ込み、ガーナは2-4で敗戦。夢は儚く散ってしまった。
スポーツマンシップに反する瞬間 / 1966 イングランド大会 (優勝国 イングランド)
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1930年代から、試合終了時には相手チームの選手とユニフォームを交換することがスポーツマンシップの一つとして習慣になっていたという。だがFIFAワールドカップでこの儀式が行われるようになったのは1950年代になってからで、この写真は1966年のワールドカップ、イングランドが準々決勝でアルゼンチンを1-0で下した後、2人の選手のジャージ交換をイングランドのアルフ・ラムジー監督が阻止しようとする様子である。ラムジー監督は、アルゼンチンのプレーはダーティでチープだと考え、ジャージ交換をやめさせようとしたと語っている。
ナイジェル・デヨングのカンフーキック / 2010 南アフリカ大会 (優勝国 スペイン)
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相手の胸元にカンフーキックをお見舞いすれば、サッカーというスポーツのルール上、大抵赤いカードが提示され、選手はピッチから退かなればいけないはずだ。100人に聞けば100人が退場だと答えそうなラフプレーだが、レフェリーがオランダ代表ナイジェル・デヨングに提示したのは、驚くべきことに赤ではなく黄色のカードだった。
ロナウジーニョの魔球 / 2002 日韓大会 (優勝国 ブラジル)
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2002年日韓ワールドカップ、イングランドvsブラジルの準々決勝でロナウジーニョが魅せたFKは、筆者の記憶にも強く残っている。40ヤードの距離から放たれた魔球は、Mr.セーフハンドの愛称で親しまれたデビット・シーマンの頭上を越え、サイドネットに突き刺さったのだ。「覚えているのは「どうかバーを越えてくれ、バーを越えてくれ」ということだけだった」とシーマンは当時を振り返る。「でも、ネットに当たった音が聞こえて、『うっ!』って思ったんだ。恐ろしかったよ。」
ゴードン・バンクス、サッカー史上最高のセーブ / 1970 メキシコ大会(優勝国 ブラジル)
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2019年、イングランドの名GKゴードン・バンクスは81歳でこの世を去った。イングランド代表では73キャップを数え、FIFAの年間最優秀GKに6回選出されたバンクスは、世界で最も偉大なGKの一人とみなされている。そんな彼のワールドカップでの名シーンといえば、1970年のメキシコワールドカップでペレを相手にみせた驚異的なセーブだろう。サッカー史上最も素晴らしいセーブとの呼び声も高く、当時バンクスとともにワールドカップを制した仲間であるボビー・チャールトンは「私はピッチにいたし、その後も何度も見てきたけれど、彼がどうやってペレのヘディングシュートを防いだのか、いまだにわからないよ」と語っている。
エジヴァウド・イジディオ・ネトのセレブレーション / 1962 チリ大会 (優勝国 ブラジル)
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チリで開催された1962年ワールドカップ決勝戦、ブラジルはチェコスロバキアを3-1のスコアで下し、圧倒的な強さを見せつけた。チェコが序盤に1点を先制するも、そのわずか2分後にはブラジルが同点に追いつく。後半は、ジョゼ・エリ・デ・ミランダとエジヴァウド・イジディオ・ネト(通称ババ)がゴールを決め、ブラジルの独壇場となったのである。この写真は、ブラジルの勝利を決定づけたババのセレブレーションの様子である。
ジネディーヌ・ジダンの頭突き / 2006 ドイツ大会 (優勝国 イタリア)
2006年ドイツワールドカップ決勝、イタリアvsフランスでの出来事はあまりにも有名だ。ジダンとマテラッツィの両者間では、危険なタックル、口論、応酬が後半延長110分まで続いていた。そして3度目の接触のあとジダンは「僕のシャツならあとで渡すから」と言い、「君のシャツより姉が欲しい」とマテラッツィが返答したことで、この事件は起こった。
故ダニエル・ハルケへ、アンドレス・イニエスタからのメッセージ / 2010 南アフリカ大会 (優勝国 スペイン)
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スペインは2010年南アフリカワールドカップの決勝でオランダと対戦。スペイン代表MFアンドレス・イニエスタは、116分にこの試合唯一のゴールを決め、チームを勝利に導いた。ゴールの後、イニエスタはイエローカードと引き換えに、シャツを脱いで亡き友人ダニエル・ハルケへ感動的なメッセージを送った。
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