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LIVE THE GOAL 森下仁道 ガーナ初の日本人プロプレイヤー

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GOALSTUDIO がサポートする 森下仁道選手への LIVE THE GOAL インタビュー

アフリカ西部、サッカー強豪国として知られるガーナで、初の日本人プレーヤーが誕生した。森下仁道。大学を休学し、アフリカ南部のザンビアでプレーした後、再びアフリカでの挑戦を選んだ異色の経歴の持ち主だ。今回はそんな彼に自身のキャリアから、アフリカ生活での実情、今後の目標を語ってもらった。

 森下仁道 ガーナ初の日本人サッカープレイヤー

 

-はじめに自己紹介をお願いします。

1995年生まれ25歳、森下仁道です。岡山県倉敷市出身で育ちはオランダです。高校で一年インドネシアへサッカー留学をしました。筑波大学蹴球部出身です。ザンビアでプロ生活をスタートして、今はガーナでプレーしています。

 

-アフリカサッカーとの出会いを教えてください。

まず筑波大学に入学してからは、Jリーガーになることを目標にプレーしていました。

ですが卒業するタイミングで、その目標はすぐには達成できないという現実を目の当たりにして、一旦海外で自分のラベルを作ることにしました。何故かというと、もし日本に帰ってきてテストを受けるときにまず見てもらえないからです。それで日本人がいない場所を選ぼうと思って。そうなると必然的に中東か、アフリカという選択肢になりました。

 

何故アフリカを選んだかというと、大学での研究分野が「アフリカにおけるスポーツを通じた国際開発」といったもので、アフリカのスポーツ関係者との繋がりが大学にあったからです。ある時、ザンビアでスポーツの国際学会があって、そこに筑波大学の副学長がお招きされたのですが、その学会に付いていかせてくださいと頼んで。はじめは「まず君は誰ですか」ってなったんですけど、「いや僕アフリカでサッカーしたいんです」とお願いして。その先で自分のプレー映像を編集したQRコードを印刷した名刺を配って、現地の人とずっとコミュニケーションをとっていたので、じゃあチャレンジできる繋がりができたから、休学してザンビアに行ってみようかという運びになりました。

 

-契約に至るまでにどういった障害がありましたか。

一つ目が生活環境ですね。当たり前ですが、日本とかなり生活が違うので。僕自身は英語が話せますし、オランダで育ったり、インドネシアで1年生活した経験があったので、海外での生活への免疫というものはついていると思っていました。けど、アフリカというのはかなり極端な異文化で、例えば食事にしてもそうだし、気候についてもそうだし、肌の色が違う人に対する見方も違う。そういったことを気にしながら生活をしないといけないというのが、物凄くストレスでした。あとはコミュニケーションの部分ですね。ザンビアは公用語が英語なので、ずっと英語で話していましたが、ザンビアにはザンビアの英語があって、僕が喋っているのはアメリカン・イングリッシュで。ザンビアの人は日本人に近しい部分で、すごく遠回しに言う国民性があるのですが、僕の英語がストレートな言い回しできつかったらしくて、最初はホストファミリーやトライアウト先のチーム関係者との摩擦がありました。そういった私生活の部分でのストレスや、ピッチ上で起きた摩擦に初めは気づくことができずにいましたね。

 

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あとはアジア人に対しての差別意識が存在したことです。僕らは白人ではありませんが、実際は白人として扱われる。白人はお金を持っているとか、教養が高いという理由で逆差別のようなことが起きるわけです。劣等感を感じているアフリカの人って結構いるんですよ。

 

そういった日本にいたら経験のできないことを肌で感じて、「あ、自分ではコントロールできない部分があるんだな」ということを知りました。

 

日本と極端に違う生活環境、コミュニケーションによる摩擦、アジア人に対しての差別意識。そういったことは契約に至るまでに絶対に乗り越えないといけない壁でしたね。

 

-それだけ過酷な環境下を経験して、再びアフリカへ行くことを決めた経緯について教えてください。

まずザンビアでも色んな出会いがあって、横浜Fマリノスで活躍されていた中町公佑 選手がたまたま僕と同じタイミングで、同じリーグでプレーすることになったんです。そこでプロとしてのイロハを教えていただいたんですけど、帰国する際、中町選手に「お前、帰国した後どうするんだ」と言われて、「Jリーグに挑戦したいと思ってます」と答えたら、じゃあ紹介してあげるよと言ってくださって。それでまずJクラブの練習参加を紹介していただいたんですね。ただ実際、練習参加は出来たものの、練習参加中にケガをしてしまったので、そうしたケガを含めて自分の実力不足を感じましたし、また練習参加を続けているさなかに、姉が亡くなってしまい、サッカーを続けられる環境ではなくなってしまって。そんな出来事があったので、実はもうサッカーをやめて岡山県の家族のそばにいてあげようと本気で思ったんです。けど家族と話したときに、サッカー選手は賞味期限がある職業だし、姉を含めた家族が、僕がこうやってアフリカに行って、自分の夢を追う挑戦をしていたことに対して、すごく勇気とか希望を感じてくれていたみたいで。だったらもう少し、家族のためにもサッカーを続けようかなと思えたんです。ただ日本はシーズン的にも厳しいというので、じゃあアフリカだなと。家族との出来事は自分のモチベーションの変化にかなり影響を与えましたね。

 

-そのまま日本に残ってプレーするという選択肢はありませんでしたか?

ザンビアでプレーすることはJリーガーになるための手段でしたが、実際僕みたいな人間がアジア人の少ない地域に行って、チャレンジして開拓していくということに関しても面白さを感じていましたし、アフリカに行ってプレーすることに価値を見出せたんです。挑戦的だし面白いというので、じゃあもう少しアフリカでやろうと最終的にガーナに行き着いた。

 

-少し話が逸れますが、昨シーズンのJリーグでは、柏レイソルのマイケル・オルンガ選手(現アル・ドゥハイルSC)がアフリカ人選手初の年間MVPを受賞しました。彼の活躍について森下さんの目にはどう映りましたか。

 

彼の活躍で一気にアフリカの注目度が上がったことは間違いないですよね。実際今シーズンから日本でプレーするアフリカ人選手というのは数が増えましたし。

 

-オルンガ選手とのエピソードについて

実際、オルンガ選手はJリーグで活躍する前から知っていて。というのもザンビアに行った後、オフシーズンを利用して、ルワンダ、ウガンダ、ケニア、タンザニア、ガーナと合わせて5ヵ国を4ヵ月かけて渡航しました。その期間は各国のトップリーグの練習参加をしたり、指導もしたのですが、ケニアで練習参加をさせていただいていたチームのコーチが、たまたまオルンガ選手の世代別代表の時のコーチだったんです。そうした縁もあって実際に彼を紹介していただき、日本に帰ってから一旦は連絡をとっていませんでしたが、今回のコロナ対策支援としてA-GOALプロジェクトという、スポーツの力を使ってアフリカの支援をしようというプロジェクトへの協力として、オルンガ選手に連絡をとってみたら、快く承諾してくださって。その後、実際にお会いしお話しすることも出来ました。

 

― 現在、ピッチ外で力を入れている活動について教えてください。

ピッチ外の活動でウェイトを占めているのが、オンライン英会話サービスです。大学時代、サッカー部員の中には海外でプレーしたい人がいて、就職活動で英語が必要な人もいれば、海外にいってコーチをしたいという人もいる。単に英語を勉強したいという人もいる。一方で繋がりのあった留学生の中にも日本人と関わりを持ちたいという人が多くいたんですよね。自分はその両方に接点があったので、互いに交友ができるということ、且つ語学力の向上ができるような組織を作ろうということで、グローバルチームというものを立ち上げました。それが英会話サービスを始めようと思った発端ですが、純粋に日本人アスリートの語学力だとか、海外意識というところに関しても課題を感じています。

 

-実際に課題だと感じた、具体的なエピソードがあればぜひ教えてください。

僭越ながら「次世代スポーツリーダー30人」に選出していただき、世界6都市で、スポーツの将来について議論しあうという会議があったのですが、その時、日本だけが同時通訳をつけていたんです。近いうちに東京五輪があって日本への注目度が高いというのに、日本はとってつけたおまけのような扱いをされていて、これは危機感を感じないとまずいなと思いました。そうした出来事も英会話サービスを始めようと思ったきっかけですね。あとはビジネスとしてスポーツ関係者に語学をアプローチしたいなと思って、英会話を立ち上げたという理由もあります。その一緒に立ち上げたメンバーが、筑波大学のグローバルチームにいたアメリカ人の留学生2人で、今はもう少し僕が規模感を大きくしていって、僕がそれだけでも日本で生活ができるような規模感にしたいなと思っています。そうすればアフリカで給料未払いなんていうのは日常茶飯事なので、そういったものに左右されずに、生活できるなと。

 

-その他にも様々な活動をされていますよね。いくつか紹介していただいてもよろしいですか?

先ほどの内容と繋がりますが、僕もエージェントビジネスとして、現地でいい選手をリストアップして、日本の代理人の方に情報を送るといった活動を今後させていただく予定です。代理人の方とお話ししていて「なぜアフリカ人選手はこんなにも素晴らしいのに日本に連れてこないのか」と伺ったときに、「シンプルに繋がりがない」とか、「現地に行って開拓していくのが怖い」といったようなことをおっしゃっていたので、僕が選手として介入して、いいなと思う選手、Jリーグで活躍できると思う選手の情報を送ることで、日本とアフリカの架け橋にもなる。そうした選手は肌感覚で分かるので、それは大きいかなと思う。

 

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あとはサッカーの指導者としても、スキマ時間をみつけて、アフリカでアカデミーやNGOといった組織に指導をしています。現地で注目度があって、テレビの取材があって、そういった選手が子供たちに指導するというのは、影響力があると思っていて、そういった立場を利用しながら、子供たちにスポーツや人生とはどういうものなのかをアプローチしていく活動は、継続して行っています。

 

-ガーナとザンビアでサッカーに違いはありますか?

ザンビアとガーナで、そこまで違いはないですかね。ただリーグとしてはザンビアの方が若干レベルが高い印象です。ザンビアの方がリーグのインフラが整っているんです。リーグにお金があるし、チームメイトにガーナ代表選手などもいましたし。代表レベルでいったら、ガーナの方が圧倒的に強いですよね。フィジカルレベルはガーナの方が高いですね。体格がガーナ人の方がでかい。まず圧倒的に球際が強いですね。日本の感覚だともう8割ファウルです(笑)

 

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あと足の速さですね。ガーナって海辺沿いなので、この前砂浜でひたすら走るっていうビーチトレーニングがあったんですけど、まあ速いっすね。野性的というか。僕スピードには自信あったんですけどね。まじかと思って(苦笑)

 

-アフリカでの食事について教えてください。

主食が三つあって一つ目が米。二つ目がフフです。原料はキャッサバで、これはタピオカの原料ですね。美味しいですよ。三つ目はバンクーといって、これはアフリカ中どこでも食べられているんですけど、メイズミールといってとうもろこしの粉ですね。それをお湯で溶かした感覚としてはマッシュポテトみたいな感じです。ガーナではそれを発酵させて酸っぱくさせるんですよ。主食として食べているのがこの3つです。

 

1度目のアフリカでの経験は今回にどう活きていますか

ザンビアでの経験があったことで、何をどう気を付けないといけないかが分かっています。飲む水にしても現地には色んな種類があって、自分に合う水を選ばないといけないんです。ただ今回は早くみつけれましたし。とはいってもこっちに来て1週間はダウンでしたけどね(笑)一日10回~12回ぐらいは、おなかを壊してました。

 

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1回目の挑戦と今回の挑戦で明らかに異なる点は何でしょうか。

ザンビアではチームが決まってない状況で、チームの契約を勝ち取って、さらにそこから信頼を掴まないといけないという2段階あったんですけど、今回はチームがほぼほぼ決まっている状況で渡航して、スムーズに契約できてチームに合流ができたので、ここがなかったのはたいぶ大きいですね。この契約を勝ち取るって部分が一番の難関ポイントなので。

 

-ザンビアで契約を勝ち取るまでに、期間はどれほどかかりましたか。

2ヵ月から3ヵ月ですかね。紹介してくれたのがホストファミリーだったので、寝泊りしながら、ひたすら練習参加をしてました。ただスケジュールというものが存在せず、今日練習あるよねって聞いたら、いや多分明日になった、はたまた来週になった。そこのストレスが半端なくて。しっかりスケジュール把握してくれよと、摩擦になった部分もあったんですけど。

 

-シーズンの日程などもないのですか?

開幕戦だけ決まっています。ただそれも最初は3月末って言われてたのが、代表ウィークが入ったからという理由で遅れて。いやもともと決まってるんだから分かるだろみたいな(笑)ただそれがアフリカなんだと一旦受け入れてしまえば、というか受け入れた方がいいんですよね。日本とアフリカで活動の仕方はやっぱり分けて考えないといけないので、前回の経験があったのは今回だいぶ楽でしたけど。僕8月末に日本に帰りたいんですけど、帰れるかな…(笑)

 

-ガーナ初の日本人選手ということもあって、かなり注目度が高いように見えます。

そうですね。ガーナで一番大きいテレビ局2局の特集が流れて、注目度の高さはひしひしと伝わってきます。街を歩いていても声をかけられますし。テレビ見たよとか、写真撮ろうとか。シーズンが始まる前でこの注目度なので…。

 

あとガーナにアフリカ大陸外の選手として、ブラジル人が2人入ってきたんですけど、彼らがまあ上手くて。そういう選手がきて、アジア人選手もきたというので、特集などで比較がされるんですよね。自分の実力以上の期待感があるというのは承知の上で、その中で自分ができること以上のことはできないので、まずはできることを100パーセント出せるように今は準備をしています。

 

-コンディション管理が難しい状況で、大切にしていることはありますか。

コンディション管理が難しいことは、アフリカならではのことなので、なんとかなるでしょぐらいのマインドで。あとはどうなっても最低限ここまでのコンディションは整えておくというラインを決めておくのは大事ですね。最高ではなくて最低を見ておくというのはリスク管理としては大事です。

 

-アフリカでの挑戦は2度目になります。現在のGOAL・目標を教えてください。

今街中で「日本人で一番有名なサッカー選手といえば誰?」と聞いたら、本田圭祐、香川真司、中田英寿といったような名前が出てきますが、「アフリカで一番有名で人気な日本人サッカー選手になること」が僕のここ5年以内の目標です。

 

-今後のプランについて教えてください

前述した通り、そうした目標があるので5年間はアフリカのサッカー選手としてプレーするというのはプランとしては考えてます。ですがあまり固執せずにその都度その都度目標やプランは修正していけばいいと思います。例えばJリーグを経由せずに、アフリカ経由をしてヨーロッパの上のクラブにいけたらそれはそれで面白いキャリアですし。

 

とりあえず半年に一回は美味しい和食と温泉のために日本に帰りたいですね。(笑)

 

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森下仁道

1995年に岡山県倉敷市で生誕。5歳から10歳まで過ごしたオランダでサッカーを始める。高校を1年間休学してインドネシアでサッカー留学を経験。筑波大学社会国際学群に進学後、蹴球部に所属。一軍を目指したが届かなかった。部活を引退後に1年間休学し、アフリカ・ザンビアのトップリーグに籍を置くFC MUZAにてプロ選手として活躍。現地ではパーソナルトレーナーとして起業やサッカー指導者として1,000人を超える子どもたちと交流。大学を卒業した2020年、再びアフリカのプロリーグに挑戦することを決め、現在はガーナ史上初の日本人選手として活躍中。

 

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