LIVE THE GOAL:セカンドキャリアはYouTuber。那須大亮が歩む現役引退後の新たな道

LIVE THE GOAL:セカンドキャリアはYouTuber。那須大亮が歩む現役引退後の新たな道

Text: Yuhei Harayama
Photo: Kenichi Arai

「LIVE THE GOAL ~ゴールに向かって生きろ~」。サッカーに関わるさまざまな人物にせまる本シリーズ。今回は世界最大の動画共有サービス『YouTube』で、現役時代からサッカーに関するさまざまな動画の配信を行う那須大亮。昨年限りで第一線から退いた那須が、セカンドキャリアにYouTuberを選んだ理由と、今後の目標について語った。





那須大亮がプロの世界に足を踏み入れたのは、まだ駒澤大学に在学中の2002年のことだった。1年目こそ出番は得られなかったものの、翌年にはレギュラーの座をつかみ、横浜F・マリノスのリーグ優勝に貢献。自身はJリーグ新人王の栄誉も手にした。そのキャリアを振り返れば、輝かしい栄光に満ち溢れている。横浜FMを皮切りに、東京ヴェルディ、ジュビロ磐田、柏レイソル、浦和レッズと名門クラブを渡り歩き、最後のクラブとなったのはヴィッセル神戸。2020年1月1日、天皇杯優勝を置き土産に、18年のキャリアに幕を下ろした。

ブレイクのきっかけは、プロ入り2年目の2003年のこと。当時の横浜FMを指揮した岡田武史監督に、その才能を見出されたのだ。
「まさに大抜擢という言葉が当てはまるくらいの評価を岡田監督にしていただきました。ただ当時のマリノスには、すごい選手がたくさんいたので、僕は自分の役割を全力でこなすだけでよかったんです」。
その役割とは守備だ。中盤の底で相手の攻撃を食い止めることだけに、すべての力を注いだ。
「それだけを求められていましたね。攻撃では近くに奥大介さんとか、遠藤彰弘さんとか、すごい選手がいたので、ボールを取ったらそこに預けるだけ。岡田さんにも『お前のパスコースは2つだけでいい』って言われていましたから(笑)」。
とにかく周りの人たちに恵まれたサッカー人生だったと、那須は振り返る。当時の横浜FMには、日本を代表するタレントたちが揃っていた。「松田直樹さんだったり、中澤佑二さんだったり、奥大介さんだったり、高校の先輩でもある遠藤彰弘さんだったり。中村俊輔さんもそう。それぞれの先輩に声をかけていただきましたし、プレー面でも助けていただいた」。





最も印象に残っている言葉は、松田からのものだった。プロ1年目になかなか試合に出られず、腐りかけた時期があった。その時に、松田からこう言われたという。
「お前みたいないつも元気な奴が落ち込んでいたら、こっちまで元気がなくなるんだよ!」
冗談めかして言ってくれた先輩のその言葉に、はっとさせられた。自分の持ち味とは何か。下を向くのではなく前を向き、がむしゃらにプレーすることだと気づかされたのだ。ポジティブ思考の持ち主である那須だが、唯一落ち込んだ出来事がある。それは2004年のアテネオリンピックだ。日本代表のキャプテンとして大舞台に立ったものの、初戦のパラグアイ戦で痛恨のミスを犯し、前半で交代させられてしまった。
「あの大会では、自分を出し切れなかった悔しさだけが残りました。どうして、あの状況を楽しめなかったのかなと。オリンピックをステップに、いろんなことにチャレンジしたい気持ちが強かったんですが、自分の力不足を痛感しただけでした。結局、チームもグループリーグで負けてしまって、終わってから半年くらいは引きずりましたね」。
そうした悔しい想いを味わいないながらも、那須はサッカー選手として着実にキャリアップを遂げていく。横浜FMでは二度のリーグ優勝を成し遂げた。2008年に移籍した東京VではJ2降格の悪夢を味わったものの、次に移籍した磐田ではリーグカップで優勝。柏では天皇杯優勝に貢献し、浦和ではアジア制覇の歓喜も味わっている。いずれのクラブでも主力としてプレーし、多くのタイトルをつかみ取った。


そんな那須が、現役時代に目指していたゴールとは何だったのか?





「ゴールと言われると難しいですけど、若い頃は海外でプレーしたいとか、日本代表で活躍したいという目標はありました。それがずっとできずに来たので、そこが唯一心残りというか、達成したかったという部分ではありますね」。それでも、那須は自身のキャリアに悔いはないという。栄光だけでなく、様々な人と出会うなかで得難い財産を手にしたからだ。なかでも大きかったのは、最後の2シーズンを神戸で過ごしたこと。アンドレス・イニエスタ、ルーカス・ポドルスキ、ダビド・ビジャというワールドクラスの選手たちとチームメイトになったことはもちろん、自身がやるべきことを見出すことができたからだ。
「神戸での2年間は、本当にたくさんの経験をさせてもらいました。そんなに試合に出られたわけではないですけど、計り知れないいろいろなものを僕に与えてくれた。自分のできること、還元できることを考えながら突き進んだ2年間だったと思います」。


YouTubeとの出会いも、その頃だった。那須は2018年から、自身のYou Tubeチャンネルを開設し、精力的に動画配信を行っている。
「もともと僕は講演とか、人に何かを伝えることをしたいと考えていたんです。そのタイミングで今所属しているマネージメント事務所が、スポーツ選手のブランディングをしたいということを聞き、知人を介してつながりました」。
もっとも、現役のサッカー選手でありながら、YouTubeの活動をこなすことに、当初は批判の声もあったという。
「もっと練習しろとか、そういう声はたくさんありましたよ。まだYouTubeというものをよく分かっていない方も多かったと思いますし、遊びでやっているんじゃないかって感じる人もいたと思います。僕も最初の頃はYouTubeやSNSのことが、まったく詳しくなくて。でもYouTubeを知れば知るほど、この媒体の大きさややることの意味が理解できてきた。それが分かってからは、批判のコメントも、ありがたい言葉として受け止めるようになりました」。
那須のYouTubeチャンネルでは、現役選手のインタビューや、チャレンジコーナー、テクニックを伝授するハウツー企画、さらにはサッカー選手のプライベートに密着するなど、様々な企画が行われている。そうした動画を配信するなかで、那須は何を世の中に伝えたいと考えているのか。
「一番は選手をより一層近くで感じてほしいということ。Jリーグ、サッカーの魅力を世の中に知ってもらう興味の入り口を作りたかったんです。もうひとつは子どもたちや、育成の指導者の方々に、僕や他の選手が培ってきた技術やメンタル面などのノウハウを伝えること。それによって日本サッカー界の成長に少しでもつながればと思っています」。





那須の活動の原動力となるのは、日本サッカー界の発展に他ならない。その使命感が生まれたのには、ひとつのきっかけがあったという。浦和に移籍した2013年のことだ。
「それまでの僕は、自分のことだけを考えてプレーしてきました。でも30歳を超えて、浦和に移籍した時、浦和のサポーターが僕に対して『頑張りましょう』っていうんです。それまでは『頑張ってください』、『応援してます』という言葉が普通だったんですけど、『がんばりましょう』って言われた時に、ああ、この人たちは一緒に戦ってくれているんだなって。その時に、僕はひとりで戦っているわけじゃない。いろんな人に支えられて、生かされていることに気付かされたんです。サポーターもそう、チームスタッフもそう、スポンサーの方もそう。一つひとつの想いがあるなかで、試合に出ている11人は、その代表者に過ぎないんだなって」。
それ以来那須は、試合が終わった瞬間に周りを見ることが多くなったという。サポーターの笑顔、スタッフの笑顔、そういう風景を見るなかで、この人たちのために戦いたいという感情が生まれた。そして、この人たちに何か返せるものがないかと考えるようになったという。
「こんな素晴らしい世界があるということを、サッカーを知らない人にも知ってもらいたい」。
その想いが、YouTubeを通じた今の活動につながっているのだ。


引退を決めた理由も、実はYouTubeがきっかけだった。すでに引退を発表していたダビド・ビジャが自身のチャンネルにゲストに来てくれた時のことだ。
「僕はビジャと同い年なんですけど、僕のYouTubeでインタビューをさせてもらった時に、引退の理由を聞いたんです。そうしたら『100%でやれなければ、自分の価値を見いだせない』と言ったんです。その言葉を聞いて自分に当てはめた時に、今の自分は数年前みたいに100%でやれていないなと気づかされて。あのレベルの選手がそういう覚悟でやっているのに、僕はそれができていないなと。その時に今が引き際だなと決断しました」。
引退後は、YouTubeの活動をメインで行っている。どうすれば多くの人に見てもらえるのか、どんな内容が喜ばれるのか。企画を思案する日々だという。
チャンネル開設からおよそ1年半が経過した現在、元選手ならではの強みを生かしたオリジナルのコンテンツは徐々に認知され、チャンネル登録者数は18万人を超えた(2020年2月29日現在)。感謝しているのは、まだ認知度が低かったチャンネル開設当時に、動画への出演を快諾してくれた選手たちだ。
「ありがたいですね。マキ(槙野智章)とか、(柏木)陽介とか、登録者数が何千人くらいの時から出てくれていますから。アンドレスもそう。最初に出てくれた方々には、特に頭が上がらないですね。その方々の想いがあったから、今につながっていると思います」。





元サッカー選手としては稀有なセカンドキャリアを歩む那須だが、第2の人生のゴールは、どこに設定しているのだろうか。
「ひとりでも多くの方を笑顔にしたいということですね。サッカーに興味がない人に、興味を持ってもらう。その先に笑顔というのがあれば、僕はやっている意味や意義があると思います。とにかく、たくさん返したいですね。たくさんの方に支えられてきたので、いろんな形で返していきたいです」。
これからも、元サッカー選手として、様々なコンテンツを配信していく予定だという。大物とのコラボも考えているそうだ。
「今度、ビジャが来日するので、コラボレーションするんですよ。ギャラは払えないよと言ったら、いや、俺が払うよと(笑)。そうやって言ってくれるのは、本当にありがたいですね。結局僕は、人に支えられているなあって(笑)」。

那須大亮 YouTubeチャンネル
https://t.co/bIKLaO39g2?amp=1





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