LIVE THE GOAL:ゴールこそがすべて、魂のストライカー・播戸竜二のキャリアと新たな挑戦

LIVE THE GOAL:ゴールこそがすべて、魂のストライカー・播戸竜二のキャリアと新たな挑戦

LIVE THE GOAL:ゴールこそがすべて、魂のストライカー・播戸竜二のキャリアと新たな挑戦

Text: Yuhei Harayama
Photo: Junya Yamauchi

「LIVE THE GOAL ~ゴールに向かって生きろ~」サッカーに関わるさまざまな人物にせまる本シリーズ。今回は長年にわたってJリーグで活躍し、日本代表でもプレーした播戸竜二が登場。昨年、現役から退いたストライカーが、20年以上におよぶ自身のサッカーキャリアと今後の目標について語った。





2019年9月、惜しまれつつ現役を引退した播戸竜二。1979年生まれのストライカーは、1999年のFIFAワールドユース選手権の準優勝メンバーで、いわゆる日本の“黄金世代”として注目を集めた。 ガンバ大阪を皮切りに、コンサドーレ札幌、ヴィッセル神戸、セレッソ大阪などでプレーし、2018年に在籍したFC琉球が現役最後のチームとなった。21年にわたる現役生活ではJリーグ通算109得点を含む、537試合出場、139得点を記録。名実ともに日本を代表する点取り屋だった。
そのスタイルは、まさにファイターそのもの。170cmそこそこの小さな身体ながら、闘争心をむき出しにしてゴールにせまり、多くの歓喜を生み出した。この天性の点取り屋の能力は、サッカーを始めた頃から培われてきたものだ。 「小さい頃からゴールしか興味がなかったですね。ゴールこそがすべて。そういう感じでサッカーをやっていました」。
ゴールが取れなければプロになれない。その想いだけを胸にサッカーに取り組み、1998年にG大阪入りを実現する。「良いストライカーの条件とは、シンプルに言えば点が取れること。点を取るためにはいろんなスタイルや方法論があると思いますけど、結局のところゴールが取れるか取れないかで、FWは評価されるんです」。





ゴールこそがすべて。その想いはプロに入ってからも変わらなかった。だから、スタメンでも途中出場でも関係なかったと、播戸は言う。
「もちろん最初から出たほうが得点できる時間は長くなりますけど、フル出場してチャンスがないよりも、残り10分でもチャンスがあったほうがいいなと思うタイプでした」。 実際に播戸は、途中出場でもよく点を取った。印象的だったのはC大阪に在籍した2011シーズン。清水エスパルス戦、サンフレッチェ広島戦と、二度も途中出場からハットトリックを達成したのだ。 「途中出場からハットトリックして勝たせたら、自分の価値は上がる。困難な状況のほうがより燃えるタイプではありましたね」。 決してテクニックに優れているわけではない。DFと駆け引きし、スペースに侵入してワンタッチでゴールを狙う。少々届かないようなボールにも果敢に飛び込むがむしゃらなプレーこそが、播戸の真骨頂だった。 「がむしゃらにやっていたほうが、みんな応援してくれるじゃないですか。チームメイトも、『あいつ頑張っているから、パスを出そう』ってなる。一時期、冷静に、かっこよく、みたいなイメージでやっていた時もあるんですけど、全然しっくりこなかった(笑)。大きい声を出してボール呼び込んで、一生懸命動いている時のほうがプレーしていて気持ちよかったですね」。





多くの得点を生み出してきた播戸だが、ゴールを奪うためには何が一番重要だと考えていたのか。 「テクニックだったり、駆け引きだったり、もちろん大事ですけど、自分がゴールを取りたいという姿勢や気持ちの部分が一番必要かなと思います。自分がゴールを欲していたら、必然的にそれに伴うようなプレーになる。いわば本能ですね。ただ本能的なプレーって、実は体力的にもメンタル的にも負担が大きいんです。だから年齢を重ねるなかで効率よく点を取ることを考えるようになりましたけど、原点にあるのはゴールを取りたいから試合に向かう。その姿勢に尽きると思います」。 最も印象に残っているゴールは、2008年の天皇杯決勝だ。柏レイソルと対戦した大一番はスコアレスのまま延長に突入したが、延長後半からピッチに立った播戸が自ら放ったシュートのこぼれ球を押し込んで、決勝ゴールを奪ったのだ。 「あのゴールはチームにとっても、自分にとっても大きなものでした。自分のゴールで優勝できたのはもちろん、AFCチャンピオンズリーグの出場権も得ることができた。他にも札幌時代に古巣のG大阪相手に決めたゴールや、神戸時代にジュビロ磐田相手に決めたボレーも技術的にはいいゴールだったと思うんですけど、最初に思い浮かぶのは、天皇杯で決めたあのゴールになりますね」。





では、サッカーを続けるなかで自身のゴール(目標)をどこに設定していたのか。 「プロになる前はJリーガーを目指し、プロになったら代表選手になるのがひとつのゴールでした。それが2006年10月に叶ったんですが、その次にどこを目指すのかと考えた時、自分の中で大きな夢を上手く持てなかったんです」。 野心や向上心に溢れた選手のイメージだっただけに、少し意外な回答だった。ワールドカップにも「出られたらいいなあ」程度だったという。日本代表に選ばれたのは27歳の時。ひとつのゴールにたどり着いた播戸は、それ以降の現役生活で、何をモチベーションに戦っていたのだろうか。 「30歳を超えたくらいから、サッカーが上手くなりたいというよりも、人だったり、場所だったり、サッカーに付随するものを数多く経験したいという思いが強くなりましたね。例えば2010年にC大阪に行った時、当時のチームは現実的に優勝できる力はなかった。そのなかで若い香川真司がいて、乾貴士がいて家長昭博がいて、清武弘嗣がいて、山口蛍がいた。この選手たちに僕が培ってきた経験を伝えて、どう成長させられるか。若い選手たちを伸ばすためにはどうすればいいのか。プレーヤーでありながら、少し指導者の目線を持つようになりました」。





C大阪だけではない。2013年にはサガン鳥栖に移籍し、残留争いに陥ったチームを好転させるにはどうすればいいかを思案した。2015年には、当時J2だった大宮アルディージャのJ1昇格のために尽力した。そして2018年に在籍した琉球では、J3優勝とJ2昇格に貢献している。いずれのチームでも多くの出場機会を得たわけではない。それでもピッチ内外で精神的支柱として存在感を放ち、チームをひとつにまとめる役割を担ったのだ。 「琉球の時は、プレイングマネージャーだと思っていましたから(笑)。チームのために何をすればいいのかを常に考えていました。もちろんプロの世界、試合に出られる選手と出られない選手がいるなかで、なかなか全員が同じ方向を向くのは難しい。それでもチームとしてひとつの目標を達成しようとしたら、同じ方向に向かって進んでいかないといけない。そのために経験を伝えたり、積極的にコミュニケーションを取ったりすることで、全員がひとつになれるようなアプローチは続けました」。
20代の頃は自分が点を取ることだけを求め続けた。しかし、30代では他者の成長とチームの勝利のために何かできるかを考え続けた。それが播戸にとっての新たなゴールとなったのだ。





一昨年に琉球を契約満了となってからも、現役を続けるつもりでいたという。実際にフリーの立場として試合の解説やイベントの仕事をこなしながら、クラブからのオファーを待った。しかし昨年9月、「プレーヤーとして、後悔ややり残したことはまったくなかった」と引退を決断し、本格的にセカンドキャリアを歩み始めている。 播戸が次なるゴールに設定しているのは、日本サッカー界を発展させることだ。 「現役が終わった時、次にどこに向かって行くのか、どこにシュートを打っていいのか全然分からなかったんですね。いただいた解説やイベントの仕事を全力でこなすことがひとつのゴールにはなったんですが、大きいゴールがないと自分がどこに走っていいか分からなくなる。そうなった時にサッカー界をもっと発展させられるような存在になりたいと思ったんです」。 播戸は引退時に将来の目標として、Jリーグのチェアマン、もしくは日本サッカー協会の会長になりたいと宣言している。

「そういう存在になれるようにチャレンジしたいんですよ。別にその肩書が欲しいんじゃなくて、大きな意味でサッカー界を発展させられる存在、いろいろなところに影響力を持てる存在になりたいんです」。 もちろん、そのゴールを達成するためには現役時代以上の努力が必要なことを十分に理解している。今は手探りの状態のなかで、さまざまな勉強をしている最中だ。目的達成の第一歩として考えているのは、クラブの経営に携わること。
「クラブの中に入って、自分の考えを形にしていきたいですね。GMのような仕事もやりたいですけど、いきなりはできませんから。いろんなことを学びながら、そのゴールに向かっていきたいです。どこのクラブでやりたいというのはないですね。プレーヤーの時もそうでしたけど、必要としてくれるところがあれば、そこのために働きたいんです」。

チャレンジ精神の旺盛さは、現役時代を変わらない。魂のストライカーは、新たなゴールに向かってがむしゃらに走り続ける。