ヴィンテージサッカーユニフォームショップ「BENE」 インタビュー

ヴィンテージサッカーユニフォームショップ「BENE」 インタビュー

Words by Yuto Suzuki

一度は憧れたあのユニフォームも、当時の歴史やシャツにまつわるストーリーを紐解けば、更なる奥深さや魅力に気が付くもの。「BENE」は日本のフットボール文化の更なる発展を目的に、欧州や南米の熱気、空気を纏ったヴィンテージ・ユニフォームや雑誌、雑貨などを取り扱うサッカーのセレクトショップ。今回はオーナーの森田さんにお話を伺いました。

 

― サッカーとの出会い

 

サッカーを始めたのが4歳の時。93年、僕が3、4歳の時にJリーグが開幕して、周りの友達の多くがボールを蹴ってました。サッカーをすること自体がとても自然な環境、時代だったと思います。当時は街中にJリーグ関連のグッズがたくさんあり、日常生活の中でサッカーに触れる機会が多かったですね。コマーシャルにはラモスが出ていて、スーパーに行けばカップラーメンにJクラブの缶バッジが付いていたり、Jリーグチップスが登場したりとか。アントラーズやヴェルディのキャップを被っている子もよく見かけましたね。

 

― フットボールシャツに興味を持ったきっかけ

 

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一緒に暮らしていた祖父母が結構な頻度で海外に行っていたのですが、毎回サッカー関連のお土産を僕に与えてくれていたんです。96年EUROの際にイングランドから買ってきてくれたレスターのシャツがあって、それがフットボールシャツを集めるきっかけになりました。当時は祖父母がそのように現地から買ってきてくれることがシャツを手に入れる唯一の手段でした。

 

― 幼少期の原体験

 

祖父母はお土産のシャツと一緒に雑誌なども持って来てくれていたんです。なので「映像」ではなく、まず「写真」で当時のカントナやベッカムなどを見て好きになりました。97年にはSKYSPORTSのプレミアリーグの放送が日本でも始まって、祖母に頼んで家で観られるようにしてもらったのですが、そこで写真でしか見たことのなかったベッカムが動いているのを初めて観ました。その時の感動と衝撃は忘れられません(笑)

 

 ― 当時のサッカーの情報源は?

 

 

余談ですがSKYSPORTSから少しチャンネルをずらすと観れたMTVやSPACE SHOWER TV、CARTOON NETWORKなどもBENEに生きています。

 

あとは日韓の前だったと思いますが、Calcio 2002というイタリアにフォーカスした雑誌があって、たまたまその雑誌の関係者の方が近所にいて、毎号をプレゼントしてもらえるようになったんです。それからはセリエAもカバーするようになり、アッズーリのファンにもなりました。

 

中学生になった頃にはネットが発達し始めていたので、ネットで情報を得たり、父にネットオークションでシャツを買ってもらったりしていました。ワールドカップの影響で日本のサッカー界がとても盛り上がっていましたし、NIKEのスコーピオンKOのような企画があったり、Vodafoneのキャンペーンでベッカムが携帯をPRしていたりと、J開幕時と同じように、普通に暮らしていてもサッカーの情報に触れる機会が多かったと思います。

 

― 高校はサッカーの強豪、堀越高校。高校卒業後は文化服装学院へ

 

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高校は堀越高校へ進学しました。グティ、トッティ、ベッカム、クリスティアーノ・ロナウドを足したような選手になりたかったです。でも入学してたった3、4か月で大きな怪我をしてそのまま部活からはリタイアしました。その後はリハビリでリフティングをしたり、中学時代の仲間とフットサルをしたりして過ごしましたが、競技としてのサッカーとの距離が出来たこともあり、以前よりも映画や音楽、ファッションなどに触れる時間が増えました。

 

高校卒業後は文化服装学院に進学し、服の勉強とTシャツ作り、写真やDJに没頭していました。在学中、先輩や同級生に人間的に芯があり、強さを持った人が多かったことと、母から将来は面白い仕事に就きなさいと言われていた影響から、自分の生き方について疑問を抱き、自問自答をすることが多かったですね。

 

― 海外での生活、バイイング、デザインの仕事を経て得た経験

 

文化服装学院で抱いた気持ちを胸に、20才になる頃に中国へ行きました。幼少期、祖父にこの先中国が大きくなるとよく聞かされていたので、それは一体どういうことなんだろうという疑問と、上海万博を控えていたということで行ってみようと。上海では1か月ほどですが、作品としての写真を撮ったり、地元の人とサッカーをしたりして過ごしました。

 

そして上海で過ごした時間がとても有意義だったので、もう少し世界を知りたいと思い、語学学習をしながらお金を作りました。ロシア経由でトルコに辿り着き、イスタンブールにアパートを借りました。トルコを選んだ理由はサッカーが盛んであることと豊かで複雑な歴史があること、ケバブがあること、そして祖父母がまだ訪ねていない国であったからです。

 

この時期はトルコの他にギリシャやブルガリア、セルビアなど9ヵ国、30の街を歩き回り、サッカーをしたり写真を撮って売っていました。各地のクラブやブロック・パーティもたくさん経験しました。その過程で出会った現地の友人達は、今でもシャツを探し、日本へ送ってくれたりと良い関係を築いています。

 

その後、22、3歳頃に日本で就職したのですが、その時の業務内容は輸入食品や雑貨のバイイングとパッケージのデザインでした。僕にとってはとても大きな予算を与えられ、何を仕入れても良いけどとにかく結果を出せと教えられました。買い付け、商談を繰り返して売れるものを探し、見つからなければ自分でデザインして売りに出す。5年ほどで退職しましたが、ここでの経験は貴重なものでしたし、BENEの運営にも生きてます。

  

 

― 退職後は自作のTシャツを持って再び海外へ

 

27、8歳のときに退職して、Tシャツを作って売ったり、カフェや美容室の看板をデザインしたりしていましたが、ある時に香港のストリートが元気だと聞いて。路上で絵を売ったり、演奏をしたり、大道芸のパフォーマンスをしたりということが活発に行われていて、そういった文化が根強く、理解もあるというその話に惹かれ、すぐに片道の航空券を買い、自作のTシャツ30枚を持って香港を尋ねました。

 

Tシャツを売り切るまでは香港で過ごそうと考えていましたが、結果的に2週間で売り切り、帰りのチケットを買い、日本に帰ることが出来ました。この経験もまた今に生きていますが、ユニフォームでチャレンジするべきだったと少し後悔しています(笑)

 

―  BENE 設立の経緯

 

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2年前のフェルナンド・トーレス引退試合の日にBENEは誕生しました。文化服装学院時代の先輩と試合を観ていて、トーレスももちろんなのですが、それよりもイニエスタでしたね。戦友のラストゲームで当人よりも気合いが入っていて。あれだけ上手い選手がピッチ上の誰よりも熱く、頑張っている姿に影響を受け、その日に自分もサッカーで何かをしようという想いを抱きました。

 

自分はどこで、何をするのべきなのかと。すぐに色々な国やクラブの状況を調べ、自分が貢献出来そうな場所を探った結果、当時のFIFAランク最下位であり、イタリアの中にあるサンマリノという小国に出会いました。BENEの設立当初の計画ではそのサンマリノを拠点に小さなクラブに携わりつつ、欧州を回ってヴィンテージ・シャツを集めて日本に向けて紹介し、日本とサンマリノ、イタリアを繋げていくというようなことをイメージしていました。しかし準備を進めていた所でコロナが蔓延し始め、身動きが取れなくなってしまって。それで渡航前に先にECショップをオープンしました。

 

― BENE の由来は? 

 

ANDRÀ TUTTO BENE(全てが良くなりますように)という標語が名前の由来です。

コロナ渦で、多くのサッカー選手だったり、著名人がその言葉を使っていたこともあって最終的には確定したのですが、BENEという単語自体は実は長友選手から来ているんです。チェゼーナからインテルに移籍してすぐだったと思いますが、現地のインタビューでBENEという言葉を連発していて。いつかどこかで使おうと企んでいました(笑)

 

― BENE が大切にしていること

 

小学生の頃の童心・好奇心です。子供の頃のまっすぐで無駄のない憧れだったり、パッと受けた印象で夢中になれる感覚というか。それって計算や計画で辿り着けないすごく大事なものだと思うので、それをまずは自分が失わないように、もしくは取り戻せるようにというのと、BENEのアイテムを買ってくれた人、見てくれた人にもそういった気持ちを抱いてもらえるようにということを大事にしています。

 

例えば僕が小中学生の当時、SKYSPORTSからチャンネルをずらすとMTVなどが映り、いつでもUSやUKの音楽と映像を楽しめたりもしていたので、当時の記憶を遡りながら、その時代にサッカーの周りに確かに存在していた音楽や映像、アート作品の要素を取り入れてアイテム紹介をしてみたりとか。そういったチャレンジもしています。

 

あとはサッカーに馴染みのない人にもシャツやアウターを通してサッカーに触れてもらえるように「普段着として取り入れる余地があること」は常に意識しています。と言いつつも自分は絶対に着れないし、売れそうにもなさそうだけど面白い。と感じるアイテムも仕入れてしまいますが(笑)

 

― ヴィンテージの魅力と現代のユニフォームとの違い

 

いわゆるヴィンテージの、年月を経たことによって得た魅力はもちろんなのですが、最近のもの、特に2006年から2012年あたりに生産されたものと比較した時には、そもそものモノとしての質が段違いだと感じます。生地の厚さもそうですし、リブの作りや、縫製の仕方、マーキングの素材も。それには境目があって、日韓ワールドカップの前後、各ブランドの生産ラインがアジア主体になっているんです。90年代中盤までのものはほとんどがそのクラブのある国か近隣国製、せいぜい東欧製でした。

 

今のシャツは基本的に45分間のパフォーマンスに焦点を当てて設計された上、90年代までのものに比べるとどうしても低コストで生産されている。選手は前後半で着替えるし、ファンは毎年新作を買う。選手仕様と市販品の差など細かい違いはあれど、概ね90年代のものの方がしっかりと作られていますね。

 

そして90年代まではモデルチェンジが2、3年周期であり、選手でさえシーズンを通してずっと同じものを着ていたりしました。91、92年のインテルなんかはMiSURAのスポンサーロゴの上にFiorucciのロゴを張り付けていたり(笑)

もちろんそれはロスカットの為ですが、大切に作られたものを大切に使っていた時代なのかなとも思います。

 

 ― 最近のユニフォームをみて感じること

 

平面的なデザインで考えた時に、80、90年代のものの影響を受けているものが多いなと思います。ファッション的な、いわゆるリバイバルの流れを汲んだものでもあるかと思いますが、違うブランドを跨いでたりして、それはどうなのかなと思いつつも、それだけ90年代のデザインが優秀だったのかと思うと嬉しいですね(笑)

 

― 今後の展望・目標は?

 

実店舗を開くというのが一つの目標です。

いつどこでどのように店舗を作るのがベストなのかということは常に考えています。実店舗の実現までの間は2、3か月に1回程の頻度でポップアップイベントを開催したいと思っています。

 

― 最後に一言

 

BENEのプロジェクトを通して、より多くの方にサッカーの素晴らしさを伝えたいです。

観ること、ボールを蹴ることはもちろん、ユニフォームを着ること、集めることを楽しみましょう。ヴィンテージ・ユニフォームはデリケートなので、洗濯する時はなるべく手洗いで。もし洗濯機を使う時は裏返して、洗濯ネットに入れてください。中々面倒かと思いますが、その積み重ねで10年、20年後のクオリティが変わってきます!

   

― BENE でしか買えないおすすめのヴィンテージアイテム5選

 

終わりに、BENEでしか買えない、おすすめのヴィンテージアイテムを5つ紹介していただきました。これからの季節におすすめのアウターから、めったにお目にかかれないレアなシャツまで。詳細はBENE公式HP、Instagramをチェック。

 

 

FOOTIX 1998 PAPER JACKET

フティックスのヴィンテージ・ペーパージャケットです。

前面左胸に98年フランスW杯のロゴ、背面に公式マスコットであるフティックスが大きくプリントされています。

フティックス(Footix)はジャズミュージシャンのファブリス・ピアロット(Fablice Pialot)がフランスの象徴である雄鶏をモチーフに生み出しました。

キャラクター名は96年にフランスで実施された電話投票にて、Gallic、Houpi、Raffy、Zimboという他の候補に大きな差を付ける18500票(総票数の47%)を獲得し決まりました。

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FRANCE98 FOOTIX

1998 - PAPER JACKET - ISL/Billwin/FRANCE98 OFFICIAL

ヴィンテージ/ユーズド

ブルー×ホワイト×オレンジ

 

インポートXL(XL表記ですが日本L相当です)

身幅65cm / 着丈67cm

¥8500(税込み・送料¥350)

コンディション”SA”

新品タグ付きのデッドストックですがプリントに経年変化による若干の色ムラがございます。

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SEVILLA 95/96 JACKET

セビージャFCの1995/1996のヴィンテージ・トラックトップジャケットです。

ベロア調の生地の質感とアンブロのラインテープの存在感が魅力的なモデルです。

セビージャFCは1890年にスペインのセビージャで設立されたクラブです。これまでにプリメーラ・ディビシオンを1回、コパ・デル・レイを5回、UEFAカップ/ELを6回制覇しています。

同拠点のベティスとは激しいライバル関係にありますが、これは1909年にセビージャFCで発生した内部分裂をきっかけにベティスが誕生したという歴史に起因しています。

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SEVILLA

1995/1996 - TRACKTOP JACKET - UMBRO

ヴィンテージ/ユーズド

ダークレッド×ネイビー×ホワイト

 

インポートL(日本L〜XL相当)

身幅71cm / 着丈73cm

 ¥8500(税込み・送料¥350)

 コンディション”AB”

大きなダメージが無く比較的綺麗な状態です。

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MONTPELLIER 00/01(H)

モンペリエHSCの2000/2001(H)のヴィンテージ・ユニフォームです。

 当時のナイキらしいシルエットと、エンボス加工によって表現されているボーダー柄が魅力的なモデルです。

 胸スポンサーのTEDDY SMITHは1989年にフランスで設立されたアパレルブランドです。デニムジーンズの製作をルーツとしています。

 モンペリエHSCは1919年にフランスのモンペリエで創設されたクラブです。かつてはエリック・カントナやカルロス・バルデラマ、廣山望などが在籍していました。

 

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MONTPELLIER HSC

1996/1997 - HOME - ADIDAS

ヴィンテージ/ユーズド

ネイビー×ホワイト

 

インポートL(日本L〜XL相当)

身幅61cm / 着丈76cm

 ¥7800(税込み・送料¥350)

 コンディション”B”

プリントに微細なひび割れがございます。

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GLENTORAN 92/93(H)

グレントランFCの1992/1993(H)のヴィンテージ・ユニフォームです。

 赤と緑という配色とボディの柄、首元のレースアップ仕様など、ユニークな要素が詰まったモデルです。

 胸スポンサーのSmithwick’sは1710年にアイルランドのキルケニーで創業したビールの醸造所であり、アイリッシュレッドエールのブランドです。

 グレントランFCは1882年に北アイルランドのベルファストで設立されたクラブです。ベルファストはジョージ・ベストの出身地である他、タイタニック号が製造されたことでも有名な街です。

 ジョージ・ベストはデビュー前にこのクラブのテストに不合格となって以来、正式に所属することはありませんでしたが、マンチェスター・ユナイテッドのツアー時に1試合限定で試合に出場しています。

 

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GLENTORAN FC

1992/1993 - HOME - umbro

MADE IN ENGLAND

ヴィンテージ/ユーズド

グリーン×レッド×ホワイト

 

UK XLサイズ(日本XL〜XXL相当)

身幅63cm / 着丈77cm

 ¥12800(税込み・送料¥350)

コンディション”AB”

大きなダメージが無く比較的綺麗な状態です。

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ENGLAND 93/94(H)

イングランドの1993/1994(H)のヴィンテージ・ユニフォームです。

エンブレム柄のエンボス加工が施されたボディと首元のパッチが印象的です。

94年アメリカW杯に参加していない為、他のモデルと比べて流通数が少ないモデルです。

シンボルであるスリーライオンのエンブレムはUMBRO社がデザインを手がけたものであり、盾の中に3頭の獅子とイングランドの国花であるバラを配したデザインはイングランド王室の紋章に由来しています。

 

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ENGLAND

1993/1994 - HOME - UMBRO

ヴィンテージ/ユーズド

ホワイト×ネイビー×レッド

 

UK Mサイズ(日本M〜L相当)

身幅58cm / 着丈70cm

 ¥8500(税込み・送料¥350)

 コンディション”B”

大きなダメージはありませんが年代相応の使用感がございます。

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BENE公式HP : BENE OFFICIAL

INSTAGRAM : BENE(@bene.ec) • Instagram写真と動画

 

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